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2010年6月21日

夏至Ⅱ 聖ヨハネの草

 
 『あの方(イエス)は栄、私は衰えねばならない。。。』
            ヨハネの福音 3:30より

 古来から、【夏至】は特別な一日だった。

 古来からの【夏至】の習慣を、見事に取り入れたのがキリスト教。
 キリスト教歴では、この日は【聖ヨハネの誕生の大祝日】ということになっている。
 聖ヨハネとは、イエス・キリストの従兄、
 イエスに洗礼を授けたといわれるあの洗者聖ヨハネのことである。

 キリスト教で誕生日が祝われるのは、イエス・キリストとその母マリア、
 そしてこの洗者聖ヨハネの、たった3人だけである。
 
 ヨハネはイエスに先駆けること半年早く生まれ、イエスの思想に大きな影響を与え、
 まさにイエスへの道を切り開き、≪旧約時代≫は終わったことを告げてあるいた、
 特別な人物なのである。
 ヨハネが馴らした民衆を率いて、イエスはイエルサレムに乗り込む。
 その頃ヨハネは、自分の責務を果たし終え、ヘロデの娘サロメの所望で、
 首をはねられているのだ。

 ヨハネは、イエスのために死を選んだ初めての殉教者でもある。
 彼が殉教した8月29日はキリスト教の大きな催事でミサが捧げられる。
 ちなみに、<ヨハネ>という名は、ヘブライ語で<神はいつくしみ深い>という意味。

 この大事なヨハネが本当に夏至の日に生まれたかどうかはわからない。
 ・・・が、この日を境に、【冬至】に向かって太陽が衰えていく様を、
 ヨハネがイエスへの橋渡しをしたことに重ねたのである。
 【夏至】以後の太陽の衰えは≪旧約時代≫の終焉を表し、
 【冬至】が≪新約時代≫の幕開けとなる・・・・
 この思想を定着させたのは、かの聖アウグスティヌス。
 彼は古代の異教の太陽信仰の催事を、うまくキリスト教に上書きしていったのである。


 この聖ヨハネのシンボルの花。。。『ヒペリカム』
 日本名『弟切草:おとぎりそう』

 ちょうど6月の今時分、黄色の花をいっぱいつける。
 古来から薬草として地中海地域のどこにでも野生していた。
 今は園芸種で、道路沿いの植え込みにも使われている丈夫な植物である。
 キリスト教では、これは、はねられたヨハネの首の血が滴って生えた...という。
 日本名も、この草から作る秘薬の作り方を漏らした弟を切り捨てたところから
 この名がついたという。
 いづれも、すがすがしい花の姿からは想像できない血生臭い話であるが、
 きっと、それくらいの効能があるのだろう。

 この『ヒペリカム』だけでなく、【夏至】の日の朝露に濡れたハーブを
 『聖ヨハネの草』という。

 これも古代ケルトの習慣をそのままに受け継いだもの。
 ミント、タイム、ゼニアオイ、ヴァーベナ、ニワトコ、ヨモギ、
 カモミール、ディル・・・・・・
 この時期、生き生きと葉を伸ばし、かわいい花を咲かせるハーブたちは、
 聖ヨハネのようにいから強いパワーをくれるのだろう。
 特に、太陽の最後の一滴のような光を浴びたこの日のハーブたちには、
 古来から、魔法が宿る...と信じられてきた。

 今も西欧では、【夏至】の日の朝早くハーブを摘んで、
 花輪にして戸口に飾り、
 乾燥させて箪笥の引き出しにしまい、
 その日の食卓にさわやかな香りを添える。

 気がつけば、『聖ヨハネの草』は我が家の小さなハーブ畑に毎年出てくる草ばかり。
 6月はこのハーブの花が一斉に咲き出すのだ。
 今朝もディルの小さな小さな花が開いた。

 今朝は鎌倉トマトのサラダに、『聖ヨハネの草』を加えてパワーアップ!
 元気をいっぱいいただきました♪

 そうそう、ヨーロッパでは『聖ヨハネの日』は24日に祝うことが多い。
 だから今からでも間に合いますよ!
 『ヨハネの草』の効能。。。
            お試しあれ!!

 

 

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2010年6月 9日

夏至 Ⅰ・・・魔法の一日


 北半球で、昼間の時間が一番長くなる一日・・・【夏至】
 北極は一日≪白夜≫が続き、南極は≪極夜≫になる。
 この日、太陽は黄道の最高点に達し、これを境に今度は下降してゆく。
 今年2010年は、6月21日である。

 古代から、この日は魔術的な力が働く日として、
 多くの古代文明が特別な儀式を執り行っている。

 古代ローマ時代、【夏至】と【冬至】には、
 【Fors Fortuna】【Sol Invictus】という太陽崇拝の祭りが盛大に行われた。
 奴隷や平民でされも、大騒ぎの許される一日である。
 多産・結婚・子孫繁栄を願い、身を清め、かがり火をたき・・・
 いわゆる、<合コン><婚活パーティ>が開かれるのである。
 だから西洋は昔から<ジューンブライド>なわけである。

 古代ギリシャの歴は【夏至】から始まっていた。
 古代ケルトのドルイドは、ストンヘッジを建て、夏至の太陽と一日向き合った。
 スコットランドやアイルランド古墳のには、ような遺跡があり、
 【夏至】の日の太陽だけが、その奥深くの一点を照らすものもある。
 北欧では、この日は太陽を寿ぎ、恋をはぐくむ日ということになっていて、
 男女入り乱れて<ミッドサマーポール>(メイポールと同じ)を建てて踊り明かす。
 日本でも<大祓いの儀>が行われ、<茅の輪くぐり>を行う。
 <茅>は生命力が強く、それにあやかって子孫繁栄を願ったのである。
 イチジクの田楽を食べる習慣もある。
 イチジクは用の東西を問わず、子孫繁栄のシンボルである。

 ケルトの妖精伝説が残る地域では、この【夏至】の日は魔法の一日でもある。
 妖精の住む"あちらの世界"と人間が住む"こちらの世界"の間の扉が開くらしい。
 だから、この日は妖精がそこらへんに現れる。
 そういえば、シェークスピアの『夏の世の夢』も、この一日の出来事だった。
 アイルランドの三大宵祭りは・・・
 5月1日<メイデイ>、6月24日<ミッド・サマーデイ> 
 そして、11月1日<ハロウイン>
 ケルトの世界では、この3日間だけ、あの扉が開くそうだ。
 普段は、ハリー・ポッターのように、パディントン駅の9と3/4番線ホームから
 行ったり来たりしているらしいけれど。
 だから、ミッド・サマーデイには、野原に出かけよう!
 運が良ければ、そして心がきれいなら、野原に開かれる"フェアリーマーケット"で
 買い物をするかわいい妖精を見ることができる。
 薔薇の花弁が散ったら、【夏至】の日は拾ってはいけない。
 もしかしたら、散ったばかりのオールドローズの花びらを棺にして、
 妖精のお葬式も見られるかもしれないから。
 
 古代から、この日は特別な魔法の一日だったのだ!!!

 

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2010年6月 1日

ツイッター仲間の皆さま


 ・・・というわけで、大変長いこと「ブログ」書きをしていませんでした。
 対外的なことから、ずっと遠ざかっていました。
 
 ・・・が、突然ですが、昨年、12月半ばのこと、
 な、なんと、【ツイッター】デヴューしてしまいました!

 昨年末、HPの管理人がHP更新しましょうと、サロンに来てくださった折、
 「ツイッターって何?」という私の質問から、その場でデヴューしてしまったのです。
 ちなみに、その時、HPは更新されませんでした(笑)

 以来、啓蒙活動の場...のつもりで・・・と、いろいろとつぶやきだしました。
 ブログより、140文字という短いもので一言というのが、自宅サロンの授業以外、
 重たいことができなくなっていた私には、とても気が楽でした。
 それに期待されて書いている感がないことも、心折れてめげているときには楽でした。

 最初は、今日はこのつぶやきをしよう・・などと計画的に参加したのですが・・・
 人のつぶやきを見ているのもおもしろく、最近は、食後、TVの前にPCを置き、
 画面を流しておき、
 ふ~nなどと眺めつつ...ときどきつぶやきを入れたりしています。

 文化や歴史や教育のつぶやきには結構反響が多く、やり取りが続くことも多々あり、
 ある方からは「なんだかサロンみたい~www」というお言葉までいただきました。
 
 ある時、私のフォロワーのアイコンの猫ちゃんが変わり、そんな会話から、
 私がうちのモモちゃんの幼かりし頃の写真をその女の子に送ってあげました。
 ちょうど、管理人いわく【第2段階:写真の添付】の学習の頃だったので!
 そのとたん、猫アイコンの方々からのフォローが増え、
 さらに、私のつぶやきに『カエサルもふもふ』などと返してくる【猫】さんがいて、
 なんなの???と思っていたら、BOTというものだと知りました。
 みていると、たくさんの人に『お帰りモフモフ』などと一言つぶやているので、
 ツイッターの前にずーーっといるの???などと、頓珍漢な事を聞いて、
 息子に馬鹿にされましたwww
 最近はモフモフさんがいないと、さみしいなあ~と感じるくらいですwww
  
 さらに、猫アイコンの皆さまから『猫もふ団に入るにゃ~』と言われて、
 【国境なき猫もふ団】員になってしまったら、さあたいへん!
 猫のアイコンが増える増えるwww猫まみれwww
 でも、いろいろな猫を見ているだけでも癒されています。
 ツイッター用語もだいぶ知りました。
 wwwとか★ノぐらいはできるようになりました。
 顔文字は感情を伝えるのに、とても素晴らしいアイテムですが、残念なことに、まだ
 できません(T T)←やっとこれができるくらいwww

 管理人にお世話をかけながら、最近はRTもできるようになりました。
 お仲間の猫さんたちも、どうやらPCだめらしいぞとわかったのか、
 『リンクするにゃ~』『ハッシュタグ付けるにゃ~』と、
 やり方やPCの扱いを丁寧に教えてくださいます。
 見ず知らずのお顔も見たことない人たちが、何か、こう仲良く猫語で話しているのは、
 本当にほのぼのして、これに癒されている方々は多いのだろうと思います。
 
 私の生徒たちも、私のつぶやきを見ようと参加しているようですが。。。
 真面目なつぶやくの合間に、『・・・にゃ♪』とか『・・・もふふ』などという
 つぶやきをみて、「え~先生はどうしちゃったの??」と驚いているかもしれません。
 
 実は私は、こうしたWEB上だけでは、人間関係も何かを学び身につけるということは 成り立たないと思っていました。
 しかし、ツイッターに関しては、そうでもない・・と思うようになっています。
 ツイッター上の人間関係は、それはバーチャルなものではありますが、
 広角視野の人間関係ができていると思うのです。
 人と人が近づく機会が希薄になっている社会で、これほど遠くで見ず知らずの人に
 結びつくチャンスは、人に豊かな思考をもたらすように思うのです。
 もちろん、それは使う人間次第というところは大ですが・・・。
 今のところ、私のツイッター仲間は、全員素晴らしいお仲間です!
 
 鎌倉や銀座のサロンで授業として開くサロンでは、生徒は先生の授業を聞くという形に
 陥りやすく、それではサロンの意味がないと、ティータイムを伸ばして会話することを 奨励してきましたが、闊達な会話はなかなか・・・。
 それが、さすがにつぶやきたい方々は、自分の意見をどんどん話すことにたけていて、
 それも140文字以内という制限の中、どんどん会話がつながります。
 特に猫さんたちは、闊達におしゃべりになられますwww
 そういう意味では、先程の誰かさんの言葉ではなけれど、授業としてもサロンより、
 ツイッター上に活発なサロンができているようなのです。
 これだと私もつぶやきがいがあり、さらに...と思うようになるのです。
 生徒のみなさまも、眺めているだけでなく、自らもつぶやいて、ツイッターサロンに
 参加してください!!

 私は、管理人いわく、驚異の成長ぶりのようで、
 フォロワーさんがもう850人を超え、私をリストに入れてくださっている方も
 たくさんで、本当にうれしい♪ 感謝です♪
 
 1年半という長いお休みを経て、このブログや外部の活動に復帰する元気や勇気を、
 私は、このツイッターのお仲間からたくさんたくさん頂きました。
 ツイッターの皆さま、ありがとうございます♪
 さらにさらに、よろしくお願い致します♪


 
 

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旅立ち


 ずいぶんと長いこと御無沙汰をしてしまいました。
 最後のブログを書いてから、なんと! 一年半も経ってしまいました。
 わたくしの人生にこのようなことが用意されているとは...と思うほど、
 次々と悲しいことがおこった一年。
 先日、やっと吹っ切れることがあり、こうして前向きにお仕事に向かい始めました。

 あのイタリア旅行の数か月前、実は母は軽い脳こうそくで足元が心もとなくなり、
 リハビリを始めていました。
 
 母は、一族皆から『ママ』と呼ばれ、みんなの太陽でした。
 わたくしは一人っ子ですが、母には妹と弟がいて、妹の叔父叔母を
 お母さん、お父さんと呼び、わたくしの父母をパパ・ママと呼ぶのが習慣でした。
 「お母さん」が早くに亡くなり、以後、3人娘といわれた従姉とわたくしたちは、
 ママを中心に世界が回っていました。
 わたくし達家族は、また元気になると、なぜか皆そう信じていました。
 それが、あの秋から、気候が寒くなるにつれ、どんどん具合が悪くなり、
 年が明けて半月も経たない頃、とうとう
 『延命治療をするか、自然のままに亡くなることを選ぶのか』と、
 選択を迫られたのです。

 自分の母親の命の長さをきめなければいけない・・・
 わたくし初め、家族も一族も、言葉がありませんでした。

 その頃、母は食べものを飲み込めなくなっているだけで、
 ちゃんと話もし笑い、手も動かす事もできました。
 なのに、なぜ?
 ちゃんと栄養をつければ元気になり、お食事をさせれば
 車いすになっても元に戻れるのではないの? 
 先生は首を横に振ります。

 年老いた父に、この決断を迫るのは酷でした。
 両親は大恋愛の末、結婚し、パーティで仲良くワルツを踊る二人は、
 みんなの憧れでした。
 母が具合が悪いことだけで、自分も神経を病んで帯状疱疹になってしまった父に、
 事態を話すことすらためらわれました。
 夫も息子たちも、叔父もいとこたちも、みんなで相談しました。
 お医者様の見立てちがいじゃないかという話まで出ました。
 そんな時、母がふと病室のベットから、
 「おなかに穴なんか開けないでね。自然でいいのよ」と言いました。
 
 私達は、母が自分の体力がつきるまで・・自然のままに・・という結論を出しました。

 それから2ヶ月半。
 それは、母の死を待つ2ヵ月半でした。
 
 実家の庭にはたくさんの花と木があり、母が丹精していました。
 小さな真っ赤で甘いサクランボのなる桜の木はもう40年以上の大木。
 これは3月半ばには満開になります。
 せめてこの桜を見せてあげたい・・・
 そんな時、息子がGoogleのストリートビューに実家の満開の桜が
 映っていることに気づきました。
 母に見せるとうれしそうに、今年はいつ咲くかしらねと・・・
 母は、みんなの思いが通じたのか、実家の早咲きの桜で病室を満開にし、
 さらに、鎌倉八幡宮のだんかづらの桜を、特別に病院の窓までベットを寄せて、
 上からお花見をして・・・
 そして旅立ちました。

 みんなに一人ひとり、「ありがとう」と言い・・・
 最後の1カ月、私と一緒に歌いたいと言い毎日歌っていた同様のCDを聴きながら。
 どんどん血圧が下がり、こと切れた時は、ちょうど『ゆりかごの唄』でした。
 母は、苦しむことなく、本当にすやすや気持ちよさそうに眠っているような、
 ほほえみをうかべて、旅立ちました。

 親の死を選ぶという決断は、今の時代、多くの人が迫られる場面かもしれません。
 選んだ遺族には、本当にこれでよかったのか...という思いがいつまでも残るものです。
 そこから立ち直るには、大変な時間と気力がいるものです。

 私も、誰からもこれが一番よかったのよと言われても、心からそうとは思えず、
 何か自分の母を死に追いやったような思いがどこかに残っていました。
 しかし、先日、ある方のお話で、こういう場合「本人が幸せかどうか」
 それを一番考えるべきことと。
 一日でも長く生きてほしいのは山々ですが、その周囲の気持ちではなく、
 本人がどう生きることが幸せか、考えてあげるればいいのだと。
 母は、お寺の御前様がこのような安らかなお顔はなかなかいないというほど、
 気持ちよさそうな寝顔だったのです。
 私も、いつまでも後ろ向きにならず、幸せな人生で、幸せにいけたのだと、
 何とか納得し、前に一歩を踏み出そうと思います。

 母の四十九日を前に、父は大動脈解離を起こし2ヵ月半ベットから
 おきあげることもできず、退院したと思ったら骨折・・・
 気丈にしているけれど響いているのでしょう。
 しかもその間に小学校時代からの親友が亡くなり、
 そんなこんなで、何が起こるか分からない毎日で、私はノックダウン状態でした。
 でも家族の支えや友人の支え、生徒からの励ましの言葉・・・
 今年の桜は一人で見るのはつらいだろうと、友人が押し寄せてくれました。
 本当にありがたく、それが元気の源となりました。
  
 母は、微笑んで旅立ちました。
 またの世界で、楽しく花やきれいなものに囲まれて笑顔で過ごしていることでしょう。
 私も、やっと一人立ち・・
 元気に一歩を踏み出し、また,新たなる旅立ちをしようと思います!

 

 
 

 
 


 
 

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