ルドゥテの生涯
1759年、ベルギー王国の北アルデンヌの森の中にひっそりとたたずむ
サンチュベールという小さな村に、かの『薔薇のラファエロ』とたたえられた
ピエール・ジョゼフ・ルドゥテは生まれました。
中世には、"もののけ姫"の白鹿のような伝説を持つこの村の教会は、
一台巡礼地として栄えましたが、今は、広場の噴水に憩う人影もない
寂れた村です。
ルドゥテはこの美しい自然と信仰厚い郷土の中で育ちました。
ルドゥテの父親と長兄は、当時流行のオペラの舞台の「かきわり」を
描いていました。パリに上京して活躍している二人の後を追い、
ルドゥテも、当時世界の中心といわれたヴェルサイユを目指します。
ルドゥテはよく、『宮廷画家』といわれますが、彼らのような絵描きは
いわゆる画家としては認められない類の人々でした。
曲がりなりにも、『画家』といわれるには、この時代、歴史画や宗教画、
王侯貴族の肖像画を描いていなければなりません。
舞台の背景や、ルドゥテのような「ボタニカルアート」を描くものは、
単なる『職人』です。
ルドゥテは確かに、マリーアントワネットに絵の手ほどきもし、
ナポレオンにも使えましたが、その地位は決して高くはありませんでした。
あるとき、当時流行の植物学の本を書いたオランダの学者が、ルドゥテの
腕を見込んで挿絵の仕事をくれたのです。
ルドゥテは、図鑑の絵を書く前に、学者も顔負けの植物学の勉強をし、
植物の細部にいたるまで正確に、しかも美しく描くことに専念します。
あまりに美しいルドゥテの植物がは評判となり、当時ジョゼフィーヌが育てていた
マルメゾンのバラたちを描くこととなります。
それが、先ごろ文化村ミュージアムで開かれていた『LES ROSES』です。
ルドゥテの前にルドゥテなし、ルドゥテの後にルドゥテなし。
もっとも美しい薔薇を描く画家として、彼は未来永劫まで『名』を残すでしょう。
でも、生前彼が手にしたのは、ほんのごくわずかの報償と
気まぐれな宮廷人の賞賛の言葉のみ。
もちろん著作権もない時代ですし、まして、当時『絵画』としての価値のない
『挿絵』職人でしたから・・・。
彼の生きた時代は、フランス大革命の時代。
激動の時代、彼の雇い主は次々没落し、画家ではない彼には『職』がなくなりました。
ルドゥテは、あの懐かしい静かな生まれ故郷のサンチュベールに戻り、最期には
食べるもにもことかく極貧生活を送ります。
フランスから戻ったルドゥテを村人は暖かく向かえ、面倒をよく見ました。
ルドゥテは、ここで、村人に看取られて静かに81歳の生涯を閉じました。
これが、私たちが『宮廷画家ルドゥテ』と呼び、輝かしい活躍と栄光を
手にしたかに思っている彼の真実の生涯なのです。
2000年、ベルギー王国大使公邸での展覧会に感激してくださったベルギー文化庁と
ルドゥテ美術館のお招きで、生徒を連れてサンチュベールの生家を訪問しました。
村長さん、村長さん、文化庁の方々始め、心優しい村人が、シャンパンを抜いて
私たちを歓迎してくださいました。当地の新聞にも取り上げられました。
この村に行って、ルドゥテがあのような薔薇が描けた理由がわかった気がします。
欲得ではなく、本当に美しいものを知っている、暖かい心を知っているからこそ、
どんな時代どんな文化の人が見ても美しいと感嘆し心が安らぐ薔薇が描けたのだと。
このとき、館長さんからプレゼントされた、原画から刷った『ダマスクローズ』は、
鎌倉サロンでいつもロザリウムの成長を見守ってくれています。