ノーブレス・オブリージュ
忙しさとでダウンして、久しぶりのブログです。
今回は、Noblesse oblige.
皆さんこの言葉を知っていますか?
英語だと思っていませんか?
これはれっきとしたフランス語。
『身分の高いものは、それにふさわしい振る舞いをしなければいけない』
と、仏和辞典に書いてあります。
最近ある雑誌で、「世界のセレブは、チャリティーパーティーなどして、ボランティアをするが、
これはセレブに課せられたノーブレス・オブリージュである」と言うような記事を見ました。
まず、世界にはセレブルティーは存在しますが、セレブという、
日本人が思い描くような人々のことではありませんし、
世界の言葉ではセレブという言葉は通用しません。
そして、ノーブレス・オブリージュという言葉から西洋人文化が思い描くのは、
もっと、違うものと思ったほうがいいでしょう。
もちろん、ボランティアは、
社会のトップの人間、影響力を持つ人間がしなくてはいけないことの一つではあります。
さらには、単に弱者に対するボランティアだけでなく
文化的なボランティアができていなくては、社会の上に立つ人間としては失格といえます。
ノーブレス・・・という言葉は、直訳すれば『高貴なもの=貴族』。
オブリージュ・・・という言葉は、よく責任と訳されますが、この言葉は、単に責任というだけでなく
『しなければいけない』『せざるをえない』という、かなり強いニュアンスを含みます。
つまり、本人の自主的な行動でなくても、
その地位にいるという理由だけで、・・・せざるを得ないことがあり、
それをすることが、このノーブレス・オブリージュの言う責務なのです。
英国ではこの言葉の説明に良くこんな話をします。
『第一次大戦、英国軍の塹壕で・・・。ある若い将校が、一般の兵隊に手榴弾の扱いを教えていた。
ところが一人の兵隊が誤って手榴弾の発火装置のピンを抜いてしまい、パニックになった。
すると、将校が自らの体で手榴弾を覆い、手榴弾は破裂して体は木っ端微塵。
しかし、おかげで塹壕の兵士達は助かった。』
実際、将校となるのはたいていイートンのような英国屈指のパブリックスクールのエリート達。
つまり、ノーブレスたちでした。
実際、この頃のイートンの卒業名簿の欄には、櫛の歯を抜いたように
<戦死>の文字が並んだといいます。
イートンではこの話を元に、
「ノーブレスたるもの、どんな時もひるまず、潔く、命がけで守るべきものを守れ!」と教えます。
こうした思想は、西洋文化の根源である古代ギリシャに端を発します。
クラシックといわれた人類最高の時代、アテナイのノーブレスたちは、
『良くいき、よく死ぬ』ことが、ひととして一番求められる品格と考えていました。
まさにパソスの思想です。
この思想は幼い頃から、【パイデア】という教育として行われました。
それが目指したものは【人格形成】と【教養】で、
特に6歳までに【アイドス】というものを叩き込みました。
【アイドス】とは、神とか親とか年長者、さらに他人や自分に対する【畏敬の念】のこと。
ですから礼儀作法は、とても大切でした。
次に、【アレテ】・・・【徳】を磨くことを教えました。
古代ギリシャで言う【徳】とは【勇気】【経験】【良いしつけ】【正義】を身につけるということ。
こうした物が備わって初めて、ノーブレスとしてふさわしい人格・品格があるといわれたのです。
彼らは、戦場ではひるまず先頭に立って戦い、
自分の役職にあっては部下の不祥事も何もかもを自分の責務と心得、
よりよい社会のために命を掛けることをいといませんでした。
こうしたノーブレス・オブリージュが敢行されていた時代、
アテネは世界一の繁栄と栄誉を手にしていたのです。
アテネがその繁栄におごり高ぶり、トップに立つ人間は保身を考え、
嘘や不正やごまかしが横行し始め、最後にたった一人のアテナイ人の裏切りがきっかけで、
アテネは崩壊の坂を一気に転げ落ちました。
教育とか品格とかが取りざたされる昨今。
一般人や子供がどうのこうの言う前に、
人々のお手本であるべき【社会のトップに立つ人間】が、
このようなノーブレス・オブリージュの精神を持たなくては・・・と思うのは、私だけでしょうか?
人心が卑しくなった国家は、崩壊し存続が危うくなる・・・歴史はそう教えています。