『一羽のツバメ春を創らず』
これは古代ギリシャの諺です。
かのアリストテレスも【ニコマス倫理学】の中でこう言及しています。
「一羽のツバメ、ある一日・・・が"春"をもたらすのではない。
それまでの永い自然の営みが"春"をもたらすのだ。
それと同じに、幸福な人も一日でつくられるわけではない。」
つまり。。。
「全てのことは過去からの積み重ねである」ということ。
これが遠く中世の英国に伝わり、
『One swallow does not make a summer』と受け継がれました。
"春"が"夏"になっているのは、ギリシャと比べ"春"と言える季節がほとんどなく、
ベストシーズンといえば"夏"という、英国らしい言い換えです。
一年3か月ぶりのブログです。
昨年3.11以来、日本はどうなっているのか、どうなるのか、
そして私には何ができるのか?・・・そんなことを悩んでいたら、
ブログに向かい、言葉を文字にすることがひどく重く感じられ、
何を書いてよいかもわからない日々が続きました。
そして、昨日。。。
我が家のガレージに遅ればせながら、ツバメがやってきたのです。
そのツバメを見て、"これ"を書きたいという思いが募り、
やっと久しぶりにPCをたたき始めました。
我が家のガレージには毎年ツバメがやってきます。
去年、3.11の後にも、つがいのツバメがやってきて子だくさん!
4羽も育てて南の国に飛び立ちました。
今年、巷ではツバメが少ないといった声も聞かれましたが、
鎌倉のいつもの軒先に、遅まきながら、ツバメたちが新居を整え始めました。
軒先の持ち主は、糞害対策をして、それでも暖かく見守ります。
小さな命がそこで生まれ、遠い国に旅立つ様は、
私たちに大自然の"理:ことわり"を教えてくれるのです。
あんなことがあっても、自然の移ろいは淡々と時を進めます。
人類は単にこの大自然の一部にすぎない。
それを忘れてはいけません。
私たち日本人は、戦後、天から降ってきた【民主主義】が何たるかも知らず、
教育もされず、ひたすらこの平和と豊かさを謳歌してきました。
民主主義は大変危ういものなのです。
その義務と責任を国民の一人一人が果たす"覚悟"がなければ、
その国は一瞬にして崩壊します。
義務と責任。
それは、国民一人一人が、この国の"まつりごと"に関心を持ち、参加し、
ひとこと言い、行動することです。
【民主主義】は、国民一人一人の双肩にかかっているのです。
誰かが何とかしてくれるという事はないのです。
私が、あなたが、この国を考え未来を決める。。。それが民主主義です。
古代ギリシャで生まれた民主主義。
しかし、栄光の真っただ中、すでに市民が"まつりごと"に向き合わず、
政治は"お上"任せになり、一部の我欲の人々のプロパガンダに惑わされ
正義も崩壊し、ソクラテスすら死刑にし、
国を率いる人々は甘い未来しか夢見ようとせず、現実から目をそらし、
果ては、責任のなすりあい・・・
そして、栄光のアテネは崩壊したのです。
どこかと似ていませんか?
国が崩壊するのは一瞬です。
それは歴史が物語っています。
今この国に起きていることは、のちの世に、きっと大きな"名前"をつけられ、
明治維新などよりずっとずっと、大きな時代の転換となる事でしょう。
世界とて同じ。
"ルネサンス"以上のことが今この世界に起きようとしています。
しかし、それは『一羽のツバメ春を創らず』なのです。
50年後、100年後の世界を創るのは、
今生きている私たちであることを自覚しなければ!
そして、かろうじて【民主主義国家】である内に、
日本人一人一人が、民主主義の義務と責任を自覚しなければと思うのです。
今までの無関心や無責任を責めるより、今は、明日の義務と責任を果たし、
声を上げ、行動しなければ、50年後の日本は危ういものになるでしょう。
私たち、一人一人はあの春を創る『ツバメ』。
多くの『ツバメ』なくして『春』はきません。
どんなに微々たる言葉でも行動でも、思っているだけではゼロ。
ゼロでは何も始まりません。
私は、一羽の小さな『ツバメ』であっても、
この国の100年後の『春』に向けて、飛び回ろうと心に決めました。