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らくがき!

この間テレビのニュースで、
フィレンツエ大聖堂に落書きした女子大生が、
学長とともに、泣きながら謝罪に行ったというニュースを報じていました。

このところ、日本人が世界遺産に落書きしていると、マスコミは、まるでマスコミこそ正義の味方・善の象徴とでも言うがごとき口調で、
「世界遺産に落書きなんて!!」と攻め立てています。
それこそ若気の至りで書いてしまったあの女子大生は、世間の厳しい視線にさらされ、つら日々だったことでしょう。
自腹を切って再度訪問し、泣きながら謝罪したことで、彼女がもうマスコミにたたかれず、むしろその勇気をたたえて温かく見守ってもらえるようになることを祈るばかりです。

やけに同情的?レディのしつけを説いているはずの私が、このようなことを容認してよいのか?と思われるかもしれませんが・・・
私は、この報道、一番初めから同調できなかったのです。
今回のこの一連の【事件】(まさに事件です!)は、図らずも、
世界に日本の教育がいかにひどいものかを示してしまったのです。
それも日本の指導者とマスコミの程度の低さを!!

今回の【事件】、非難するポイントが全くずれていました。
落書きした事ばかり、それもコメンテーターの誰もが「世界遺産に落書きなんて!」という非難のし方でした。
あえて言いますが、落書きのない世界遺産なんて、世界遺産ではありません。
落書き自体が悪いのではありません。
また、若者ばかりが非難されましたが、若者とは、過ちを犯しておとなへと成長するもの。
これもあえて言いますが、失敗もしたことがない、叱られるようなことはいっさいしたことがない優等生なんてろくな大人になりません。
私がお付き合いのある、文化人・知識人でイタリアやフランスの彼らに言わせれば、何で日本はあのような報道をするのか??????と、理解しがたいようです。
では、世界の目から見て、今回の【事件】のどこが間違いなのかをお話ししましょう。

まず第一は・・・
非難されるべきは、落書きをした若者ではないということ。
彼女たちを研修旅行と言って引率した教師:大人こそ、非難されるべきで、さらに直接引率した教師こそ、謝罪に飛んでいくべきなのです。もちろん学長はその上司ということでいくのは当たり前ですが・・・。

本来、<研修旅行>とは、何かの学問的・教育的な理由で、教師が生徒を引率し、数日間の間、寝食と共にし行動するものです。
その場合、教師は学問的な指導だけでなく、生徒の一から十までの言動に責任があり、それを指導するのが当たり前です。
私も何度も生徒を研修旅行に連れて行っていますが、それはただの観光旅行ではありません。
朝起きたらホテルのダイニングでどうするか、見学場所ではどう立ち居ふるまうか、レストラン・ホテルの扱い方、お茶会に招かれたら・・・、劇場に行ったら・・、・・・・
ありとあらゆる非日常の場面で、生徒一人一人がどうふるまうべきかを実は口うるさく指導するのが本当の【研修旅行】です。
学校の机上で勉強し、それに沿って現地でさあ自由行動だ!...とばかりに放し飼い!  先生も観光気分で楽しんでいるから、このような不始末が起きるのです。
(先生みずから落書きしてというお話もありましたが、これは言及する必要もないほど程度の低いお話。教師の資格云々のまえに、結婚して家庭を持つ一人前の大人といていかがなものかということです。)
【先生】とは、単に先に生まれた者ということではなく、先に生まれていろいろな経験をしているからこそ、その【生きざま】を後から来る人間に見せるられるということ。【先生】なんて別段えらくも何ともありません。人が知らないことをたまたま知っているにすぎません。しかし、もし、【先生】と呼ばれるのであれば、その呼称に値するなりの人格・徳を備えなければいけません。だって、先に生まれた者すべてが【先生】と呼ばれるわけではないのですから。
近頃の【先生】にはその覚悟がないように思います。

第2に・・・
落書きの仕方を知らなかったという点。
ポンペイやポン・デュ・ガールに行って御覧なさい。皇帝ネロの宮殿ドムス・アウレアに行っててごらんなさい。チュニジアの古代ローマの街の遺跡エルジェムに行って御覧なさい。
山のように落書きがありますよ!
それも紀元前の!
その落書きによって、今、私たちは、「あーあの時代はこんなだったのか。人はこんな風に暮らしていたのか・・・」と、まさにその【時代】を想像できるわけです。
記録された公式文書なんて、どうせ時の権力者の思いのままに書かれたもの。本当の【時代】は映し出してはいません。
100年もすれば、<正しい落書き>は、【歴史】になるのです。

紀元前の落書きがなぜ残っているかというと、そては彫ってあるものが多いから。
ドムス・アウレアの天井には、この遺跡が発見されたルネサンス時代、考古学の総監督をしていたラファエロがここから内部に入ったとされる穴が開いています。この穴の周りには、たぶん閉じ、ここを見つけた人たちでしょう、なんにんもの名前が書いてあります。
ここからは、それこそ人類の宝、ラオコーンやプラクシテレスのアポロンが続々掘り出されたのです。
ポン・デュ・ガールの高いところ、今は人が入れないところにも、なんと!多くの男性のシンボルが彫ってあります。
これは勿論、この橋を築いた人々が彫ったものでしょう。
遠くの山から何百キロも離れた街に清らかな水を運ぶこの水道橋は、当時の人々にとって人知を超えた素晴らしい建造物だったに違いありません。そこに彼らは子孫繁栄を願って落書きをしたのです。彼らの願いどおり、風雨にさらされようと、この落書きは何千年も残り、子孫は現在も繁栄しています。
今回の落書きも、石造りのものに、マジックはいけません。せめて、彫ってほしかった!
それから、ハートマークもいけません。だって、ルネサンス時代にハートマークたくさんのスタイルはそぐわないから。できれば、ラテン語の名句なんか、もしくは、ヤン・ファン・エイクにならって『***ここにあり!』なんて掘れば、最高ですね!
そうすれば、1000年後(もし地球が存続していれば・・・それとの人類がいなくなって宇宙人が見つけるかもしれませんが。)、これを見た人々はこう思うでしょう。
「東の果ての国から、20そこそこの女の子がわざわざここにきて感動していったのだなあ」と。
そうすればこれは歴史の一部になるのです。

このような過激な発言をあえてするのも、日本人が世界の感覚といかに違うかということをわかっていただきたいからで、決して落書きを推奨しているのではありません。
今後、もし、落書きをしたと思うなら、西洋の世界遺産にするのであればラテン語とそのあたりの教養を、そのほかの地域のものならばその文化の根本をしっかり勉強した上で、それにふさわしい落書きをしてください。
そう、100年後に【歴史】となる様な落書きを!
そのためには、かなりの教養が必要ですよ!!

無知は罪です。
それが世界の認識。
知っていれば人生の選択は無限に広がり、失敗も少なくなり楽しい人生を送れるのです。
過去は、よりよい未来のためにあるのですから。
世界遺産も、ただあることがその意義ではなく、未来の単に存続しなければいけませんね。


            


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