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『和敬清寂』その2

前回の続きです。

『清』

読んで字の如し。
「清らか」であることは、社交の場でとても大切なポイントです。
私達はともすると、おもてなしの食卓やエチケットで、「美しい」「きれい」であることを
目指しがちですが、この「清らか」であることこそ第一!!としたのが茶道です。
“清浄なる水の文化”である日本人は、人との交わりを【一期一会】の覚悟で、
常に一番清らかな状態で・・・と考えました。
割り箸文化も、茶道の手さばきも全て、この「清らか」が基本の考えにあります。

この「清らか」・・・単に、見かけが清潔!心がきれい!・・・それだけではありません。
身の外も内も清らかであることは大前提。その上でさらに、人との関係・社交は「清らか」であれ!と利休は言っています。
利休の言う「清」の一字には「潔さ」という意味も含まれるのです。
秀吉との確執の末、利休は腹を切りました。
互いに譲れない一線があったのです。
社交とは、人と交わるとは、ただベタベタと馴れ合って、いい加減な時間を割くのではなく、
「一期一会」のつもりで行うもの。
その人のため、真実の為ならば「筋を通す」ということでしょう。
「筋を通す」のは、なまじの事ではありません。人の何倍もの気力と努力が必要です。
しかもその結果は全て自分で背負う覚悟も必要です。
西洋では、こうした心構えを『ノーブレス・オブリージュ』『プレイ・クリケット』という言葉で
表現しています。
「筋の通ったエチケット・マナー」・・・毅然とした態度は、小手先・見せ掛けを美しく見せる“立ち居振る舞い”より、ずっとずっと美しく感じられることでしょう。
それには、自分自身がしっかり地に(知に)足がついて、自己が確立していなくては行けませんね!


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